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ビンス・カーター:マイケル・ジョーダンと同じ大学出身のスラムダンク王

本記事の信頼性

こういった私が解説していきます.

目次

ビンス・カーター

ビンス・カーターは,1995~1998年にノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)で活躍した選手です.

ビンス・カーターのポジションは,シューティング・ガードとスモール・フォワードです.

ビンス・カーターの必殺技といえばスラムダンクですね.

本記事ではビンス・カーターのスラムダンクがどれくらいすごいのかをわかりやすく解説します.

ビンス・カーターは,1998年のNBAドラフトでゴールデンステート・ウォリアーズに1巡目5位で指名されました.(その後,すぐにトロント・ラプターズにトレードされました.)

ビンス・カーターは,1998~2020年にNBA選手として歴代最高記録の22年間活躍しました.

NBAにおいて,ビンス・カーターは,1990年代,2000年代,2010年代,2020年代の4つの年代でプレーした唯一の選手です.

2020年6月25日にビンス・カーターが引退してニュースになりましたね.

それでは,ビンス・カーターのこれまでの活躍を紹介する動画を観ていきましょう.

1:44でUNCについて語られています.また,ビンス・カーターのニックネームが「ビンサニティ(Vince + Insanity = Vinsanity)」や「Half Man, Half Amazing」になった理由がわかります.

ビンス・カーターの歴史がわかる動画です.

ビンス・カーターの22シーズンの集大成がわかります.

ビンス・カーターのスラムダンク動画

それでは,ビンス・カーターのスラムダンク動画を観ていきましょう.

高校時代のダンク

ビンス・カーターの高校時代のダンク動画です.

ビンス・カーターは,高校時代からアクロバティックなダンクができたことがわかります.

大学時代のTOP10のダンク

ビンス・カーターの大学時代のTOP10のダンク動画です.ビンス・カーターのスラムダンクは大学時代から凄かったことがわかります.

2000年のNBAスラムダンクコンテスト優勝

ビンス・カーターのスラムダンクで一躍有名になったのは2000年のNBAスラムダンクコンテストです.

ビンス・カーターのオリジナルの必殺技は,スラムダンクコンテストで優勝した際に披露したエルボーダンクです(1:56).観客の驚いた顔がとても印象的ですね!

ビンス・カーターのエルボーダンクは,UNCの先輩でバスケの神様「マイケル・ジョーダン」が,「Carter's elbow slam 'the most amazing dunk I have ever seen'」(カーターのエルボーダンクは,これまでに見た中で最もアメイジングなダンクだった)と解説しています.

ビンス・カーターが選ぶNBAのキャリアでTOP10のダンク

ビンス・カーターが選ぶNBAのキャリアでTOP10のダンク動画です.2021年5月時点で440万回以上再生されています.

TOP10ダンクの内容は以下になります.1999~2000年が多いですね.1位のポスターダンクは必見です!

  • 10位:2000年1月26日のトロント・ラプターズ vs. ワシントン・ウィザーズ戦のダンク
  • 9位:2005年12月21日のブルックリン・ネッツ vs. オーランド・マジック戦のダンク
  • 8位:2000年1月24日のトロント・ラプターズ vs. ミルウォーキー・バックス戦のダンク
  • 7位:2005年2月20日のNBAオールスターゲームのダンク
  • 6位:1999年3月13日のトロント・ラプターズ vs. アトランタ・ホークス戦のダンク
  • 5位:1999年10月15日のトロント・ラプターズ vs. ロサンゼルス・クリッパーズ戦のダンク
  • 4位:1999年5月5日のトロント・ラプターズ vs. クリーブランド・キャバリアーズ戦のダンク
  • 3位:2000年3月8日のトロント・ラプターズ vs. ロサンゼルス・クリッパーズ戦のダンク
  • 2位:1999年2月24日のトロント・ラプターズ vs. インディアナ・ペイサーズ戦のダンク
  • 1位:2005年11月7日のブルックリン・ネッツ vs. マイアミ・ヒート戦のダンク

日本語の解説動画はこちらです.

ビンス・カーターのNBAでの毎年のスラムダンク動画

ビンス・カーターのNBAでの毎年のスラムダンク動画(1999~2018年)を紹介します.

ビンス・カーターの大学時代の活躍

ビンス・カーターは1995~1998年にUNCの選手でした.

ビンス・カーターの大学時代の成績は下表になります.

1995~1996年はシックスマンとして試合に出ることが多かったので平均得点は7.5でした.

翌シーズンからスターティング5として試合に出ていたので,平均得点は1996~1997年は13.0,1997~1998年は15.6と向上しています.

ビンス・カーターの活躍により,UNCは1997~1998年にACCトーナメントを優勝し,NCAAトーナメントのファイナルフォーまで勝ち進みました.

得点リバウンドアシストスティールブロック
1995~19967.53.81.30.60.6
1996~199713.04.52.41.40.8
1997~199815.65.11.91.20.9

大学時代の主な実績は以下になります.

  • 1997年:Third-team All-ACC
  • 1998年:Consensus second-team All-America
  • 1998年:First-team All-ACC

これらの活躍により,ビンス・カーターのジャージ(背番号#15)は,優秀選手としてディーン・スミス・センターに掲げられました.

永久欠番の選手を含む優秀選手一覧を知りたいあなたは,こちらの記事を読みましょう.

ビル・ガスリッジ コーチの6スターターシステムの1人

ビンス・カーターは,ビル・ガスリッジ コーチの6スターターシステムの1人です.

スターティング5の6人は,アントワン・ジェイミソン,ビンス・カーター,エド・コタ,シャモンド・ウィリアムズ,アデモラ・オクラジャ,ムフタール・ヌディエです.

ビル・ガスリッジ コーチや他の選手を知りたいあなたはこちらからどうぞ.

1996~1998年シーズンのUNCのハイライト動画

1996~1998年シーズンのUNCのハイライト動画です.

https://youtu.be/uo_H0gTvZZA

NCAAトーナメントのハイライト動画

NCAAトーナメントのハイライト動画です.やはり,ビンス・カーターはダンクが多いですね.

ビンス・カーターのNBA時代の活躍

ビンス・カーターは,1998年のNBAドラフトでゴールデンステート・ウォリアーズに1巡目5位で指名されました.(その後,すぐにトロント・ラプターズにトレードされました.)

ビンス・カーターのNBA時代の活躍を紹介していきます.

  • 1998~2004年:トロント・ラプターズ
  • 2004~2009年:ニュージャージー・ネッツ
  • 2009~2010年:オーランド・マジック
  • 2010~2011年:フェニックス・サンズ
  • 2011~2014年:ダラス・マーベリックス
  • 2014~2017年:メンフィス・グリズリーズ
  • 2017~2018年:サクラメント・キングス
  • 2018~2020年:アトランタ・ホークス

1998~2004年:トロント・ラプターズ時代の活躍

トロント・ラプターズ時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#15です.

1999年2月5日:NBAデビュー戦

1998~1999年シーズンは,1999年1月までNBAはロックアウトしていたので,デビュー戦は1999年2月5日のボストン・セルティックス戦になりました.

NBAデビュー戦のハイライト動画は以下になります.3:28でNBA初ダンクが観れます.

1999年:NBAで新人王受賞

ビンス・カーターは,NBAで新人王を受賞しました.

1998~1999年シーズンのハイライト動画は以下になります.

2001年:ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)の卒業式とNBAカンファレンスセミファイナルのGAME7

2001年5月20日にビンス・カーターは,卒業式とNBAカンファレンスセミファイナルのGAME7を同時に経験しました.

UNCの卒業式のシーンとGAME7のインタビュー動画はこちらです.

GAME7の試合の相手はアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズで87-88で惜敗しました.

ビンス・カーターが後半残り2.0秒でボールをもらって放った最後のシュートが決まっていたらというシーンです(9:42).

参考までに,2019年にトロント・ラプターズのカワイ・レナードが同じくカンファレンスセミファイナルのGAME7のリデンプション(取り返し)をした時のシーンの比較です!

※2019年にトロント・ラプターズはNBAを優勝しました!

ビンス・カーターのトロント・ラプターズ時代のミックステープ

ビンス・カーターのトロント・ラプターズ時代の活躍がわかるミックステープです.

2004~2009年:ニュージャージー・ネッツ時代の活躍

2004~2009年のニュージャージー・ネッツ時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#15です.

2004~2009年シーズンのハイライト動画

2004~2009年シーズンのハイライト動画です.

ダンクやアクロバティックなプレイが多いですね.

2009~2010年:オーランド・マジック時代の活躍

2009~2010年:オーランド・マジック時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#15です.

2009~2010年シーズンのハイライト動画

2009~2010年シーズンのハイライト動画です.

2010~2011年:フェニックス・サンズ時代の活躍

2010年12月18日からのフェニックス・サンズ時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#25です.

2010~2011年シーズンのハイライト動画

2010~2011年シーズンのハイライト動画です.

※シーズンの最初はオーランド・マジックに所属していたので,そのハイライト動画も含まれます.

2011~2014年:ダラス・マーベリックス時代の活躍

ダラス・マーベリックス時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#25です.

この頃からダンクは少なくなり,3Pシュートが増えています.

2010~2011年と2011~2012年の平均シュートの本数の比較は下表になります.

平均3Pシュート数の割合(= 平均3Pシュート数 / 平均シュート数の合計)が0.36から0.46と10%増加していることがわかります.

平均2Pシュート数平均3Pシュート数平均シュート数の合計平均3Pシュート数
/ 平均シュート数の合計
2010~2011年7.84.412.20.36 (= 4.4 / 12.2)
2011~2012年5.64.910.6※0.46 (= 4.9 / 10.6)

※小数点以下を切り捨てているため,合計に誤差あり.

2011~2014年シーズンのハイライト動画

2011~2014年シーズンのハイライト動画です.

3Pシュートの割合が増えていることがわかります.

2014年4月26日:サンアントニオ・スパーズ戦で逆転3Pブザービーター

2014年4月26日のサンアントニオ・スパーズ戦で逆転3Pブザービーターを決めました.

ビンス・カーターの逆転3Pブザービーターにより,ダラス・マーベリックスはサンアントニオ・スパーズに109-108で勝利しました.

以下の動画の4:18で観られます.

2014~2017年:メンフィス・グリズリーズ時代の活躍

メンフィス・グリズリーズ時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#15です.

2014~2017年シーズンのハイライト動画

2014~2017年シーズンのハイライト動画です.

2017~2018年:サクラメント・キングス時代の活躍

サクラメント・キングス時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#15です.

2017~2018年シーズンのハイライト動画

2017~2018年のハイライト動画です.

2018~2020年:アトランタ・ホークス時代の活躍

アトランタ・ホークス時代の活躍を紹介していきます.

ビンス・カーターの背番号は#15です.

2018~2020年シーズンのハイライト動画

2018~2019年のビンス・カーターのハイライト動画です.

2019~2020年のビンス・カーターのハイライト動画です.

2020年3月11日のニューヨーク・ニックス戦でビンス・カーターはNBAの「The Last Shot」の3Pシュートは必見です(3:57).

この試合後に,コロナの影響でNBAが中断しました.

NBAの再開後では,プレーオフ圏内に入っていないアトランタ・ホークスはシーディング・ゲームに参加できないのでシーズンが終了しました.

なので,この2020年3月11日のニューヨーク・ニックス戦がビンス・カーターの最後の試合となりました.

ビンス・カーターのアメリカ代表時代の活躍

ビンス・カーターのアメリカ代表時代の活躍を紹介していきます.

2000年のシドニーオリンピックと2003年のバスケットボールアメリカ選手権(FIBAアメリカップ)での活躍

ビンス・カーターは,2000年のシドニーオリンピックと2003年のバスケットボールアメリカ選手権(FIBAアメリカップ)で全勝して金メダルを獲得しています.

2000年,2003年のアメリカ代表としてのビンス・カーターの全ダンク動画は以下になります.

一番Amazingなダンクは,2000年のシドニーオリンピックのフランス代表戦でフレデリック・ワイス(218cm,7.2フィート)相手に飛び越えた死のダンク(The Dunk of Death)です(3:21).

日本語の解説動画はこちらです.

2000年9月6日:アメリカ代表(ドリームチームIV) vs. 日本代表

2000年9月6日にさいたまスーパーアリーナで,ビンス・カーターはアメリカ代表(ドリームチームIV)として日本代表と戦いました.

ビンス・カーターの背番号は#9です.

ビンス・カーターとマイケル・ジョーダンの関係

ビンス・カーターとマイケル・ジョーダンの関係を紹介していきます.

大学時代の後輩と先輩

タイトルに記載した通り,ビンス・カーターとマイケル・ジョーダンはUNCの後輩と先輩の関係になります.

ビンス・カーターは1995~1998年,マイケル・ジョーダンは1981~1984年にUNCに在籍していました.

マイケル・ジョーダンの大学時代の活躍を知りたいあなたはこちらからどうぞ.

NBAスラムダンクコンテスト優勝歴

ビンス・カーターは2000年,マイケル・ジョーダンは1987年と1988年にNBAスラムダンクコンテストで優勝しています.

両方とも偉大なスラムダンク王ですね.

UNCの先輩として誇りに思います.

2003年のNBAオールスターゲーム

ビンス・カーターは,2003年2月のNBAオールスターゲームのスターティング5をマイケル・ジョーダンに譲りました

ビンス・カーターはスターティング5に選ばれましたが,マイケル・ジョーダンは残念ながらスターティング5に選ばれずにリザーブでした.

マイケル・ジョーダンは現役最後のNBAオールスターゲームだったので,先輩のマイケル・ジョーダンを立てる後輩のビンス・カーターによる心温まるエピソードですね.

以下の2003年のNBAオールスターゲーム動画の1:14でビンス・カーターがマイケル・ジョーダンに先発を譲ったことをコメンテーターが言っています.

マイケル・ジョーダンのNBA時代の活躍を知りたいあなたはこちらからどうぞ.

2024年:バスケットボール殿堂入り

ビンス・カーターは2024年のバスケットボール殿堂入りに選出されました!

まとめ

マイケル・ジョーダンと同じ大学出身のスラムダンク王「ビンス・カーター」を紹介しました.

ビンス・カーターは,スラムダンクならマイケル・ジョーダンと比較できるレベルの実績を持つ選手です.

また,ビンス・カーターのNBAでの22年間のキャリアは最長記録です.

長い間,お疲れ様でした!

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