マイケル・ジョーダンの大学時代の活躍を教えて!
こういった悩みにお答えします.
本記事の信頼性
- 2012年9月~2013年8月にマイケル・ジョーダンの母校「ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)」で客員研究員として働いた経験があり,アメリカの大学バスケ(NCAA)やNBAに詳しい.また,日本のバスケやBリーグも詳しい.
- 2020年1月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒル(UNCがある町)にあるGuarantee Happiness LLCでCTO,2022年6月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒルにあるJapanese Tar Heel, Inc.のCEO兼CTOとして働いているので,アメリカの最新のバスケに詳しい.
- マイケル・ジョーダンに関する記事を50本以上,ノースカロライナ州やUNCに関する記事を200本以上,バスケに関する記事を50本以上執筆.
- 中高はバスケ部で,中学は千葉県ベスト8,高校は千葉県ベスト16.UNCの学生やノースカロライナ州の地元の方と一緒にアメリカのバスケの経験あり.
こういった私が解説していきます.
目次
マイケル・ジョーダンとは
マイケル・ジョーダンは,間違いなく史上最高のバスケ選手(GOAT:Greatest Of All Time)で,バスケの神様です.
ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)出身のマイケル・ジョーダンは,ノースカロライナから世界一のバスケ選手になりました.
私もUNCで客員研究員をしていた時は,よくマイケル・ジョーダンのシューズ「エア・ジョーダン」を履き,背番号#23のユニフォームを着て学生と一緒に「Go Heels!」と叫んで応援していました.
※Go HeelsはUNCを応援する時に言います.
マイケル・ジョーダンの活躍を紹介すると多すぎて語りきれませんね.
マイケル・ジョーダンの大学時代の一番の活躍は,UNCの1年生の時の1982年のNCAAトーナメント決勝でウイニングショット「The First Shot」を決めたことです.
また,マイケル・ジョーダンのUNC時代の背番号#23は永久欠番で,ディーン・スミス・センターの天井に掲げられています.
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マイケル・ジョーダンがNBAですごい成果を出したことはご存知でしょう.
マイケル・ジョーダンはUNC出身で,大学時代もすごい活躍をしています.
マイケル・ジョーダンのポジションはシューティングガード(SG)で,スラムダンクの流川のモデルになった選手です.
※流川のポジションはスモールフォワード(SF)ですが,ポジションの役割は結構似ています.
本記事では,マイケル・ジョーダンのUNCでの活躍を紹介します.
マイケル・ジョーダンの大学時代を知りたいファンのあなたにおすすめです.
マイケル・ジョーダンのノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)時代
マイケル・ジョーダンは,大学には3年間(1981-1984年)所属した後にアーリーエントリーしてNBAに入ります.
NBAに入った後にもオフシーズンに大学に通い,1986年に地理学の学位を取得しています.
UNC時代のハイライト動画
UNC時代のハイライト動画です.
NCAAトーナメントのハイライト動画
NCAAトーナメントのハイライト動画です.
それでは,マイケル・ジョーダンの1~3年生の活躍と地理学の学位取得について紹介します.
1981~1982年:1年生の時
マイケル・ジョーダンが1年生の時はジェームズ・ウォージーとサム・パーキンスに続く3番手のプレーヤーという印象でした.
試合では,マイケル・ジョーダンはジェームズ・ウォージーやサム・パーキンスに対する厳しい相手ディフェンスのスキを狙って得点するシーンが多かったです.
1981~1982年の主要な選手3人のスタッツは以下になります.
マイケル・ジョーダンの得点は3番目ですが,ジェームズ・ウォージーやサム・パーキンスとバランスよく得点していることがわかります.
主要な選手 | 得点 | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック |
---|---|---|---|---|---|
マイケル・ジョーダン | 13.5 | 4.4 | 1.8 | 1.2 | 0.2 |
ジェームズ・ウォージー | 15.6 | 6.3 | 2.4 | 1.5 | 1.1 |
サム・パーキンス | 14.3 | 7.8 | 1.1 | 0.9 | 1.9 |
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マイケル・ジョーダンは,1982年のNCAAトーナメントの決勝でウイニングショット「The First Shot」を決めました.
1982~1983年:2年生の時
昨年のエースのジェームズ・ウォージーが1982年のNBAのドラフトにアーリーエントリーし,マイケル・ジョーダンが大学バスケの経験により成長して2年生からエースになりました.
※ジェームズ・ウォージーは1982年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズに1位指名され,マジック・ジョンソンやカリーム・アブドゥル=ジャバーと共に活躍して,NBAチャンピオンになりました.
下表に1982~1983年の主要な選手2人のスタッツを示します.
マイケル・ジョーダンは20.0得点で,サム・パーキンスの16.9得点より多いことがわかります.
主要な選手 | 得点 | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック |
---|---|---|---|---|---|
マイケル・ジョーダン | 20.0 | 5.5 | 1.6 | 2.2 | 0.8 |
サム・パーキンス | 16.9 | 9.4 | 1.3 | 1.2 | 1.9 |
1983~1984年:3年生の時
マイケル・ジョーダンは3年生の時も引き続きエースとしてチームを牽引しました.
下表に1983~1984年の主要な選手2人のスタッツを示します.
今年も昨年に続き,マイケル・ジョーダンはサム・パーキンスより得点が多いことがわかります.
主要な選手 | 得点 | リバウンド | アシスト | スティール | ブロック |
---|---|---|---|---|---|
マイケル・ジョーダン | 19.6 | 5.3 | 2.1 | 1.6 | 1.1 |
サム・パーキンス | 17.6 | 9.6 | 1.6 | 0.9 | 1.9 |
これらの活躍で,マイケル・ジョーダンは,年間最優秀選手賞を受賞しました.
3年生の終了後に,コーチのディーン・スミスからアドバイスを受けて,大学を去りNBAにアーリーエントリーします.
そして,マイケル・ジョーダンは1984年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに3位で指名されました.
※サム・パーキンスは同年のNBAドラフトでダラス・マーベリックスに4位で指名されました.
1986年:地理学の学位取得
マイケル・ジョーダンは,1986年に地理学の学位を取得しています.
この時の卒業生の平均初任給に関する「マイケル・ジョーダンの誤謬(ごびゅう)」があります.
1986年,UNCの地理学の卒業生の平均初任給は25万ドルでしたが,一方,全米の卒業生の平均年収は22,000ドルでした.
しかし,マイケル・ジョーダンは1986年に地理学を専攻して卒業し,NBAで70万ドル以上稼いでいます.
このマイケル・ジョーダンの収入は「外れ値」とみなされ,結果に大きな影響を与えました.
この統計的誤差を修正するための解決策は,外れ値を除外する等の別の方法でデータを分析することです.
マイケル・ジョーダンが統計に大きな影響を与えた好例ですね!
マイケル・ジョーダンの大学時代のベスト試合7選
マイケル・ジョーダンの大学時代のベスト試合7選を紹介します.
1982年3月29日:UNC 63-62 ジョージタウン大学
マイケル・ジョーダンの伝説が生まれたのは,UNCが2度目のNCAAトーナメント決勝のジョージタウン大学との試合の残り15秒で決めたウイニングショット「The First Shot」です.
このウイニングショットでUNCはジョージタウン大学に63-62で勝利しました.
この試合でマイケル・ジョーダンは,16点,9リバウンド,2アシスト,2スティールの活躍でした.
マイケル・ジョーダンは,1982年のNCAAトーナメントを合計5試合66得点で終え,200分間のうち173分間を出場しました.
AP通信のオースティン・ウィルソンは,「1年生のガードのマイケル・ジョーダンは,ゲーム前のビジョンで勝利のシュートを見たと言ったが,彼がNCAAチャンピオンシップの試合で15秒後に本物のアーチを描いた後に何が起こったのかを見ることができなかった」と試合後に書いています.
この試合から24年後の2006年11月21日に発売した「LEGENDS in BLUE」は,当時のエピソードを交えて「The First Shot」について語っています.
UNCやマイケル・ジョーダンのファンのあなたにおすすめです!
この試合のハイライト版です.6:15のマイケル・ジョーダンのThe First Shotを観てみましょう!
この試合のフルゲーム版です.
1983年1月22日:UNC 103-82 デューク大学
ライバルのデューク大学との試合を紹介します.
当時2年生だったマイケル・ジョーダンは,UNCの選手としてはデューク大学との対戦で32得点(歴代TOP10の得点)を記録しました.
UNCはデューク大学を103-82で破り,この試合で11連勝しました.
「The News and Observer」のジョー・タイデは,「マイケル・ジョーダンは後半になって,使命感に駆られた男になった.彼はチームの攻撃をハイギアに戻すことを厳格に決めていた.マイケル・ジョーダンは後半の9分間で19得点を記録し,フレッシュマン(1年生)の多いデューク大学に103-82で勝利しました.」と書いていました.
この試合のハイライト版です.
1983年1月29日:UNC 72-65 ジョージア工科大学
マイケル・ジョーダンは,印象的な3Pシュートのパフォーマンスのおかげで,キャリアハイの39得点を記録し,UNCはジョージア工科大学に72-65で勝利しました.
マイケル・ジョーダンの39得点は,ジョージア工科大学に対するUNCの試合の歴史の中で3番目に高得点です.
マイケル・ジョーダンとチームメイトのサム・パーキンスを合わせた合計は62得点で,UNCの歴史上のチームメイト同士の合計得点数では19位です.
マイケル・ジョーダンのシュートは,2Pはで11本中5本成功,3Pはで7本中6本成功,フリースローは13本中11本成功しました.
相手のジョージア工科大学のコーチのボビー・クレミンズは,マイケル・ジョーダンのキャリアハイとなる39得点のパフォーマンスを「私が大学時代に見た中で最高の選手はデビッド・トンプソンでした.マイケル・ジョーダンはそんな選手です.彼はゲームを変えた.」と総括しました.
また,The Asheville Citizen-Timesは「ジョーダンは素晴らしかった.」と報告しました.
1983年3月5日:UNC 105-81 デューク大学
1983年の2度目となるデューク戦で,マイケル・ジョーダンはUNCの選手としては最高得点のTOP10の1つを記録しました.
2年生のマイケル・ジョーダンは,UNCのレギュラーシーズンの最終試合でデューク大学に105-81で勝利し,再び100点以上を獲得したデューク戦で32得点を記録しました.
レギュラーシーズンでは,UNCはデューク大学を208-163で上回り,UNCはACCのレギュラーシーズンの成績は12勝2敗でトップになりました.
UNCが3Pシュートを15本中12本決めた日に,ジョーダンは3Pシュートを7本中5本決めました.
The Asheville Citizen-Timesは,「マイケル・ジョーダンが得点することは簡単だった.3Pラインの外からシュートを打たないときは,レイアップとショートジャンパーの真ん中をドライブしていた.」
マイケル・ジョーダンは「私は多くのスコアを取得する機会があったし,それらを利用した.私はデューク大学に対してよくプレーするように見えるが,彼らのチームに非常に多くの1年生がいるからかもしれない.」と言いました.
1983年3月27日:UNC 77-82 ジョージア大学
マイケル・ジョーダンはNCAAトーナメントで自己最高の26得点,6リバウンドを記録し,それまでの自己ベストを8得点上回りました.
しかし,UNCはNCAAトーナメントの東地区決勝(Elite Eight)でジョージア大学に77-82で敗戦しました.
The Daily Tar HeelのS. L. プライスは「そして,それは終わった.アルバカーキの沈んだ乾燥地ではなくニューヨーク州北部の寒く湿った街を背景に,UNCはシーズンを終え,今回はNCAAトーナメント準決勝(Final Four)まであと一歩のところで敗退しました.」と報じています.
この試合のフルゲーム版です.
1984年2月18日:UNC 95-71 ノースカロライナ州立大学
マイケル・ジョーダンは,ノースカロライナ州立大学戦でキャリア2番目に高い32得点を記録しました.
マイケル・ジョーダンのジュニア(3年生)シーズンには,UNCが(AP通信のランキングで)ほぼ1位のチームだった頃(11月下旬から1週間だけ2位),マイケル・ジョーダンはライバルのノースカロライナ州立大学を相手に95-71の勝利を収め,前のアーカンソー大学の試合の唯一のレギュラーシーズンの敗北から立ち直りました.
ノースカロライナ州立大学との試合では,UNC史上7番目タイの32得点を記録したほか,これまでのノースカロライナ州立大学との全試合のベストに並ぶ6スティールを記録しました.
マイケル・ジョーダンのフィールドゴールは18本中12本,フリースローは11本中8本決め,8リバウンドと2アシストを記録しました.
The Rockey Mount Telegramは,「マイケル・ジョーダンはノースカロライナ州立大学の手の届かないところに試合を進めた.」と報告しました.
ノースカロライナ州立大学のコーチのジム・ヴァルヴァーノは,「ランが出たときは何の役にも立たなかった.試合開始のスパートが勝負だった.マイケル・ジョーダンは素晴らしい.彼がフェイドアウェイのターンアラウンドジャンパーを放ったとき,止めることはできません.」と語りました.
動画は見つかり次第追加します.
1984年3月17日:UNC 77-66 テンプル大学
マイケル・ジョーダンは,NCAAトーナメントのキャリアハイをUNC最後のシーズンで記録しました.
1984年のNCAAトーナメント開幕戦では,UNCはテンプル大学に77-66で勝利しました.
マイケル・ジョーダンは,15本中11本の効率的なシュートを放ち,6リバウンドと6リバウンドでNCAAトーナメントのキャリアハイとなる27得点を記録しました.
まとめ
マイケル・ジョーダンの大学(UNC)時代の活躍を紹介しました.
マイケル・ジョーダンのUNCの1~3年生の時の活躍や,ベスト試合7選がわかりました.
これらの活躍により,マイケル・ジョーダンの背番号#23がUNCで永久欠番になりました!
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