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ボビー・ジョーンズ:UNC出身で初代NBAシックスマン賞を受賞した名ディフェンダー

2021年12月7日

本記事の信頼性

  • 2012年9月~2013年8月にマイケル・ジョーダンの母校「ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)」で客員研究員として働いた経験があり,アメリカの大学バスケ(NCAA)やNBAに詳しい
  • 2020年1月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒル(UNCがある町)にあるGuarantee Happiness LLCでCTO,2022年6月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒルにあるJapanese Tar Heel, Inc.のCEO兼CTOとして働いているので,アメリカの最新のバスケに詳しい
  • マイケル・ジョーダンに関する記事を50本以上,ノースカロライナ州やUNCに関する記事を200本以上執筆.
  • 中高はバスケ部で,中学は千葉県ベスト8,高校は千葉県ベスト16.UNCの学生やノースカロライナ州の地元の方と一緒にアメリカのバスケの経験あり

こういった私が解説していきます.

目次

ボビー・ジョーンズ

ボビー・ジョーンズは,1971~1974年にノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)で活躍した選手です.

ボビー・ジョーンズのポジションは,パワー・フォワードです.

ボビー・ジョーンズは206cmの長身,高い身体能力とバスケットボールIQによる名ディフェンダーだったため,ニックネームに国防長官(The Secretary of Defense)と呼ばれるようになりました.

また,ボビー・ジョーンズは初代NBAシックスマン賞を受賞した名ディフェンダーで,フィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の背番号#24は永久欠番になっています.

それでは,ボビー・ジョーンズの活躍を紹介していきます.

ボビー・ジョーンズの大学時代の活躍

ボビー・ジョーンズの大学時代の活躍を紹介していきます.

ボビー・ジョーンズの主な実績は以下になります.

  • Second-team All-ACC(1973年)
  • First-team All-ACC(1974年)
  • Second-team All-America(1974年)

これらの活躍により,ボビー・ジョーンズのジャージ(背番号#34)が,優秀選手としてディーン・スミス・センターに掲げられました.

永久欠番を含むUNCの優秀選手を知りたいあなたはこちらからどうぞ.

1974年3月2日:デューク大学戦で後半残り17秒で8点差を追いついてオーバータイムの末逆転勝利

1974年3月2日のデューク大学戦で後半残り17秒で8点差(78-86)を追いかける状況でした.

以下の流れで86-86の同点に追いつきました.

  • 0:18:ボビー・ジョーンズが2本のフリースローを決めて,80-86の6点差
  • 0:26:ウォルター・デイビスがインバウンドパスをスティールし,ジョン・キュースターにアシストして82-86の4点差
  • 0:46:ボビー・ジョーンズがゴール下でレイアップを決めて84-86の2点差
  • 1:10:ウォルター・デイビスが30フィートのバンクショットをブザービーターで決めて8点差を追いついて86-86の同点になり,オーバータイムに突入

オーバータイムの末,UNCはデューク大学に96-92で逆転勝利しました.

UNCのチームメイトで勝利に貢献したウォルター・デイビスとジョン・キュースターを知りたいあなたはこちらからどうぞ.

1974年3月8日:メリーランド大学戦のプレイ動画

1974年3月8日のメリーランド大学戦のプレイ動画です.

ボビー・ジョーンズ(白ジャージの背番号#34)がプレイしていることがわかります.(成績は見つかりませんでした.)

UNCはメリーランド大学に85-105で敗戦しました.

ボビー・ジョーンズのABA/NBA時代の活躍

ボビー・ジョーンズのABA/NBA時代の活躍を紹介していきます.

1974年のNBAドラフトでヒューストン・ロケッツに1巡目5位で指名されました.

1974年にABAのデンバー・ナゲッツでコーチだったラリー・ブラウンは,1973年のカロライナ・クーガースのコーチ時代にボビー・ジョーンズをABAドラフトで指名していました.

ラリー・ブラウンは,NBAドラフトでヒューストン・ロケッツに指名されたボビー・ジョーンズを勧誘し,デンバー・ナゲッツに入団することに成功しました.

ボビー・ジョーンズはABAのデンバー・ナゲッツでキャリアを開始します.

ラリー・ブラウンとボビー・ジョーンズは,UNCの先輩後輩の関係です!

ラリー・ブラウンを知りたいあなたはこちらからどうぞ.

ボビー・ジョーンズのABA/NBA時代の主な実績は以下になります.

All-Defensive First Teamの常連の名ディフェンダーであることや,1983年から始まった初代NBAシックスマン賞の受賞者であることがわかります.

  • ABA All-Defensive First Team(1975~1976年)
  • ABAオールスター(1976年)
  • NBA All-Defensive First Team(1977~1984年)
  • NBA All-Defensive Second Team(1985年)
  • NBAオールスター(1977~1978年,1981~1982年)
  • NBA優勝(1983年)
  • NBAシックスマン賞(1983年)
  • フィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の背番号#24は永久欠番

1974~1978年:デンバー・ナゲッツ時代の活躍

1974~1978年のデンバー・ナゲッツ時代の活躍を紹介していきます.

1976年1月27日:ABAオールスター戦で24得点,10リバウンドの活躍

1976年1月27日のABAオールスター戦で24得点,10リバウンドの活躍でした.

ボビー・ジョーンズに活躍により,デンバー・ナゲッツはABAオールスターに144-138で勝利しました.

デンバー・ナゲッツのエースのデビット・トンプソンは29得点,8リバウンドの活躍でした.

デビット・トンプソンはマイケル・ジョーダンの少年時代のヒーローです.

また,マイケル・ジョーダンがバスケットボール殿堂入りの時のプレゼンターを務めました.

マイケル・ジョーダンとデビット・トンプソンの関係を知りたいあなたはこちらからどうぞ.

1977年5月1日:ポートランド・トレイルブレイザーズ戦で8得点,7リバウンド,2スティール,4ブロックの活躍

1977年5月1日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で8得点,7リバウンド,2スティール,4ブロックの活躍でした.

ボビー・ジョーンズの活躍により,デンバー・ナゲッツはオーバータイムの末,ポートランド・トレイルブレイザーズに114-105で勝利しました.

※デンバー・ナゲッツのエースのデビット・トンプソンは31得点,6リバウンド,6アシスト,6スティールの活躍でした.

1978年1月29日:フィラデルフィア・セブンティシクサーズで11得点,4リバウンド,6アシスト,3スティール,2ブロックの活躍

1978年1月29日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズで11得点,4リバウンド,6アシスト,3スティール,2ブロックの活躍でした.

デンバー・ナゲッツはフィラデルフィア・セブンティシクサーズに117-118で惜敗しました.

※デンバー・ナゲッツのエースのデビット・トンプソンは39得点の活躍でした.

1978年4月21日:ミルウォーキー・バックス戦で21得点,9リバウンドの活躍

1978年4月21日のミルウォーキー・バックス戦で21得点,9リバウンドの活躍でした.

ボビー・ジョーンズの活躍により,デンバー・ナゲッツはミルウォーキー・バックスに127-111で勝利しました.

※デンバー・ナゲッツのエースのデビット・トンプソンは20得点の活躍でした.

1978~1986年:フィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の活躍

1978~1986年のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の活躍を紹介していきます.

ボビー・ジョーンズの背番号は#24です.

フィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代のハイライト動画

フィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代のハイライト動画です.

1981年5月1日:ボストン・セルティックス戦でダリス・ドーキンスと強烈なダンク

1981年5月1日のボストン・セルティックス戦でフィラデルフィア・セブンティシクサーズのチームメイトのダリル・ドーキンスと強烈なダンクをする動画です.

特に,ラリー・バード(緑ジャージの背番号#33)の上からポスターダンクを決めるシーンは必見です(1:15)!

フル動画はこちらです.

1983年のNBAプレーオフから優勝までの総集編

1983年のNBAプレーオフから優勝までの総集編です.

1983年にNBA優勝したフィラデルフィア・セブンティシクサーズはNBA50周年記念の偉大な10のチームに選ばれています.

また,この時のフィラデルフィア・セブンティシクサーズのコーチは同じUNC出身のビリー・カニンガムです.

ビリー・カニンガムを知りたいあなたはこちらからどうぞ.

1983年5月31日:NBAファイナルのロサンゼルス・レイカーズ戦で13得点の活躍

1983年5月31日のNBAファイナルのロサンゼルス・レイカーズ戦で13得点の活躍でした.

ボビー・ジョーンズの活躍により,フィラデルフィア・セブンティシクサーズはロサンゼルス・レイカーズに115-108で勝利して,NBA優勝を決めました!

1986年2月23日:ロサンゼルス・レイカーズ戦でダンク

1986年2月23日のロサンゼルス・レイカーズ戦でダンクを決める動画です.

ダンクを決めたのは,チャールズ・バークレージュリアス・アービングモーゼス・マローン,ボビー・ジョーンズというレジェンドです!

ボビー・ジョーンズが速攻からダンクを決めています(2:12).

フィラデルフィア・セブンティシクサーズはオーバータイムの末,ロサンゼルス・レイカーズに111-117で惜敗しました.

ボビー・ジョーンズのアメリカ代表時代の活躍

ボビー・ジョーンズのアメリカ代表時代の活躍を紹介していきます.

ボビー・ジョーンズの背番号は#8です.

1972年:ミュンヘンオリンピックで銀メダルを獲得

1972年のミュンヘンオリンピックで銀メダルを獲得しました.

1972年9月9日のソビエト連邦代表との決勝戦で,一時はソビエト連邦代表に50-49で勝利して喜びました.

しかし,残り時間が間違っていた(残り時間は1秒ではなく3秒だった)ので,もう一度再開したらソビエト連邦にシュートを決められて50-51で逆転勝利を許してしまいました...

※ボビー・ジョーンズは動画で見つかりませんでした.

2019年9月6日:ボビー・ジョーンズのバスケットボール殿堂入りスピーチ

2019年9月6日のボビー・ジョーンズのバスケットボール殿堂入りスピーチです.

2020年1月28日:ボビー・ジョーンズのフィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の背番号#24(永久欠番)をジョエル・エンビードが許可をとって着用

2020年1月28日にボビー・ジョーンズのフィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の背番号#24(永久欠番)をジョエル・エンビードが許可をとって着用し,ゴールデンステート・ウォリアーズ戦に望みました.

背番号#24の着用は,2020年1月26日に急死したコービー・ブライアントに敬意を表したものです.

ボビー・ジョーンズとコービー・ブライアントの力が宿ったジョエル・エンビードは24得点,10リバウンドの活躍でした.

※24得点,10リバウンドは,ボビー・ジョーンズの1976年1月27日のABAオールスター戦と同じ成績です!

ジョエル・エンビードの活躍により,フィラデルフィア・セブンティシクサーズはゴールデンステート・ウォリアーズに115-104で勝利しました.

コービー・ブライアントを知りたいあなたは,マイケル・ジョーダンの殿堂入りスピーチの記事で解説しています.

マイケル・ジョーダンがコービー・ブライアントの代役をしていますので,是非読みましょう!

まとめ

UNC出身で初代NBAシックスマン賞を受賞した名ディフェンダー「ボビー・ジョーンズ」を紹介しました.

ボビー・ジョーンズのフィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代の背番号#24は永久欠番です.

また,ボビー・ジョーンズは,バスケットボール殿堂入りしているレジェンドです!

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