本記事の信頼性
- 2012年9月~2013年8月にマイケル・ジョーダンの母校「ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)」で客員研究員として働いた経験があり,アメリカの大学バスケ(NCAA)やNBAに詳しい.
- 2020年1月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒル(UNCがある町)にあるGuarantee Happiness LLCでCTO,2022年6月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒルにあるJapanese Tar Heel, Inc.のCEO兼CTOとして働いているので,アメリカの最新のバスケに詳しい.
- マイケル・ジョーダンに関する記事を50本以上,ノースカロライナ州やUNCに関する記事を200本以上執筆.
- 中高はバスケ部で,中学は千葉県ベスト8,高校は千葉県ベスト16.UNCの学生やノースカロライナ州の地元の方と一緒にアメリカのバスケの経験あり.
目次
ウォルター・デイビス
ウォルター・デイビスは,1973~1977年にノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)で活躍した選手です.
ウォルター・デイビスのポジションは, シューティング・ガードとスモール・フォワードを兼ねたスイングマンです.
ウォルターデイビスはUNC時代,スムーズなプレースタイルと強いディフェンス力から「Sweet D」というニックネームで呼ばれていました.
また,NBAのフェニックス・サンズ時代の背番号#6は永久欠番になりました.
ウォルター・デイビスは,マイケル・ジョーダンの少年時代のヒーローです.
マイケル・ジョーダンを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
もうひとりのヒーローのデイビッド・トンプソンを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
ウォルター・デイビスはUNC男子バスケ部のコーチ「ヒューバート・デイビス」の叔父です.
ヒューバート・デイビスを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
それでは,ウォルター・デイビスの活躍を紹介していきます.
ウォルター・デイビスの大学時代の活躍
ウォルター・デイビスの大学時代の活躍を紹介していきます.
ウォルター・デイビスの背番号は#24です.
1974年3月2日:デューク大学戦で後半残り17秒で8点差を追いついてオーバータイムの末逆転勝利
1974年3月2日のデューク大学戦で後半残り17秒で8点差(78-86)を追いかける状況でした.
以下の流れで86-86の同点に追いつきました.
- 0:18:ボビー・ジョーンズが2本のフリースローを決めて,80-86の6点差
- 0:26:ウォルター・デイビスがインバウンドパスをスティールし,ジョン・キュースターにアシストして82-86の4点差
- 0:46:ボビー・ジョーンズがゴール下でレイアップを決めて84-86の2点差
- 1:10:ウォルター・デイビスが30フィートのバンクショットをブザービーターで決めて8点差を追いついて86-86の同点になり,オーバータイムに突入
オーバータイムの末,UNCはデューク大学に96-92で逆転勝利しました.
UNCのチームメイトで勝利に貢献したボビー・ジョーンズとジョン・キュースターを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
1975年3月8日:ACCトーナメント決勝のノースカロライナ州立大学戦で70-66の勝利に貢献
1975年3月8日のACCトーナメント決勝のノースカロライナ州立大学戦で70-66の勝利に貢献しました.
ウォルター・デイビスの活躍により,UNCはACCトーナメントを優勝しました.
インタビューに登場したフィル・フォードを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
1977年3月28日:NCAAトーナメント決勝のマーケット大学戦でチーム最多20得点の活躍
1977年3月28日のNCAAトーナメント決勝のマーケット大学戦でチーム最多20得点の活躍でした.
UNCはマーケット大学に59-67で惜敗して準優勝でした.
ウォルター・デイビスのNBA時代の活躍
ウォルター・デイビスは,1997年のNBAドラフトでフェニックス・サンズに1巡目5位で指名されました.
ウォルター・デイビスのNBA時代の活躍を紹介していきます.
NBA時代の主な実績は以下になります.ウォルター・デイビスは,フェニックス・サンズのレジェンドですね.
- フェニックス・サンズ時代に6度のNBAオールスター出場(1978~1981年,1984年,1987年)
- フェニックス・サンズの歴代最多得点(15,666得点)
- フェニックス・サンズの背番号#6は永久欠番
1977~1988年:フェニックス・サンズ時代の活躍
1977~1988年のフェニックス・サンズ時代の活躍を紹介していきます.
ウォルター・デイビスの背番号は#6です.
1979年3月30日:シアトル・スーパーソニックス戦で40得点の活躍
1979年3月30日のシアトル・スーパーソニックス戦で40得点の活躍でした.
第4Qの残り8秒で103-105の2点差で負けている時,ウォルター・デイビスの2Pシュートで105-105の同点に追いつきオーバータイムに突入しました(4:40).
ウォルター・デイビスの活躍により,フェニックス・サンズはシアトル・スーパーソニックスにオーバータイムの末113-111で勝利しました.
1983年2月25日:シアトル・スーパーソニックス戦でNBA記録の34得点を連続で成功(シュートは15本連続で成功)
1983年2月25日のシアトル・スーパーソニックス戦でNBA記録の34得点を連続で成功しました.(15本連続のシュート成功,この試合では合計36得点)
ウォルター・デイビスの活躍により,フェニックス・サンズはシアトル・スーパーソニックスに106-101で勝利しました.
1984年5月23日:ロサンゼルス・レイカーズ戦で27得点10アシストの活躍
1984年5月23日のロサンゼルス・レイカーズ戦で27得点10アシストの活躍でした.
ウォルター・デイビスの活躍により,フェニックス・サンズはロサンゼルス・レイカーズに126-121で勝利しました.
1988~1991年:デンバー・ナゲッツ第1期時代の活躍
1988~1991年のデンバー・ナゲッツ第1期時代の活躍を紹介していきます.
1990年11月7日:サンアントニオ・スパーズ戦で32得点の活躍
1990年11月7日のサンアントニオ・スパーズ戦で32得点の活躍でした.
デンバー・ナゲッツはサンアントニオ・スパーズに153-161で惜敗しました.
1990年11月24日:シカゴ・ブルズ戦で22得点の活躍
1990年11月24日のシカゴ・ブルズ戦で22得点の活躍でした.
デンバー・ナゲッツはシカゴ・ブルズに145-151で惜敗しました.
1991年1月2日:デトロイト・ピストンズ戦で23得点の活躍
1991年1月2日のデトロイト・ピストンズ戦で23得点の活躍でした.
デンバー・ナゲッツはデトロイト・ピストンズに107-118で敗戦しました.
1991年:ポートランド・トレイルブレイザーズ時代の活躍
1991年のポートランド・トレイルブレイザーズ時代の活躍を紹介していきます.
ウォルター・デイビスの背番号は#6です.
1991年5月26日:ロサンゼルス・レイカーズ戦で14得点の活躍
1991年5月26日のロサンゼルス・レイカーズ戦で14得点の活躍でした.
ポートランド・トレイルブレイザーズはロサンゼルス・レイカーズに95-116で敗戦しました.
1991~1992年:デンバー・ナゲッツ第2期時代の活躍
1991~1992年のデンバー・ナゲッツ第2期時代の活躍を紹介していきます.
ウォルター・デイビスの背番号は#6です.
得点シーンの動画が見つからなかったので,見つかり次第追加します.
1992年に現役を引退しました.
ウォルター・デイビスのアメリカ代表時代の活躍
ウォルター・デイビスのアメリカ代表時代の活躍を紹介していきます.
1976年:モントリオールオリンピックで金メダルを獲得
1976年のモントリオールオリンピックで金メダルを獲得しました.
ウォルター・デイビスは白ジャージの背番号#6です.
アメリカ代表のコーチはUNCのコーチ「ディーン・スミス」です.
ディーン・スミスを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
また,同じUNC出身でチームメイトのフィル・フォード,ミッチ・カプチャック,トム・ラガルドを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
1976年7月27日:決勝のユーゴスラビア代表戦に95-74で勝利して金メダルを獲得
1976年7月27日の決勝のユーゴスラビア代表戦に95-74で勝利して,アメリカ代表は金メダルを獲得しました.
2024年:バスケットボール殿堂入り
ウォルター・デイビスは2024年のバスケットボール殿堂入りに選出されました!
まとめ
マイケル・ジョーダンの少年時代のヒーロー「ウォルター・デイビス」を紹介しました.
ウォルター・デイビスはフェニックス・サンズ時代の背番号#6が永久欠番であること,現在UNC男子バスケ部のコーチ「ヒューバート・デイビス」の叔父であることがわかりました.
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