マイケル・ジョーダンのNBA時代の活躍を教えて!
こういった悩みにお答えします.
本記事の信頼性
- 2012年9月~2013年8月にマイケル・ジョーダンの母校「ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)」で客員研究員として働いた経験があり,アメリカの大学バスケ(NCAA)やNBAに詳しい.
- 2020年1月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒル(UNCがある町)にあるGuarantee Happiness LLCでCTO,2022年6月~現在はアメリカのノースカロライナ州チャペルヒルにあるJapanese Tar Heel, Inc.のCEO兼CTOとして働いているので,アメリカの最新のバスケに詳しい.
- マイケル・ジョーダンに関する記事を50本以上,ノースカロライナ州やUNCに関する記事を200本以上執筆.
- 中高はバスケ部で,中学は千葉県ベスト8,高校は千葉県ベスト16.UNCの学生やノースカロライナ州の地元の方と一緒にアメリカのバスケの経験あり.
こういった私が解説していきます.
マイケル・ジョーダンのNBA時代の活躍は,とても長い記事です.
記事を全部読む時間がないあなたは,興味がある部分だけでも読んで頂ければ幸いです.
目次で好きなタイトルをクリックして下さい.
目次
マイケル・ジョーダンのNBA時代
マイケル・ジョーダンのNBA時代の活躍を紹介していきます.
マイケル・ジョーダンがNBAで活躍した時期は以下になります.
- 1984~1993年:シカゴ・ブルズ第1期
- 1995~1998年:シカゴ・ブルズ第2期
- 2001~2003年:ワシントン・ウィザーズ
1993~1995年,1998~2001年の2度の引退が挟んで合計3度引退しています.
マイケル・ジョーダンは,シカゴ・ブルズ時代に3連覇(3-peat)を2度を達成し,NBAを6度優勝しています.
6度のNBAファイナルでの活躍は以下の動画になります.各々のシーンは後ほど解説します.
マイケル・ジョーダンは,NBA50周年記念やNBA75周年記念に選ばれた選手の1人です.
1984年6月19日:NBAドラフトでシカゴ・ブルズに1巡目3位で指名
マイケル・ジョーダンは,1984年6月19日のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに1巡目3位で指名されました.
マイケル・ジョーダンは1位指名だと思っていたあなたは,3位指名の謎について考察されている動画を観てみましょう!
当時はビッグマンが全盛期の時代で,シューティング・ガードのマイケル・ジョーダンにはあまり期待されていなかったそうです.
1984年のNBAドラフトの1位はアキーム・オラジュワン,2位はサム・プーイで,2人ともセンターでした.
NBA時代の9本のブザービーター
マイケル・ジョーダンといえばブザービーターですよね.
マイケル・ジョーダンのNBA時代の9本のブザービーターを解説していきます.
9本のブザービーターはNBA史上最多です.
1989年5月7日:クリーブランド・キャバリアーズ戦でのブザービーター「The Shot」
1989年5月7日のクリーブランド・キャバリアーズ戦でのブザービーター「The Shot」です.
シカゴ・ブルズはクリーブランド・キャバリアーズに101-100で勝利しました.
プレーオフ1回戦のクリーブランド・キャバリアーズとの2勝2敗で迎えた第5戦,勝利した方が2回戦に進出できるサドンデス試合です.
試合は後半残り3秒,シカゴ・ブルズはクリーブランド・キャバリアーズに99-100の1点差で負けている絶体絶命の状態,ボールはシカゴ・ブルズです.
それでは,The Shotをご覧下さい.
1990年11月13日:ユタ・ジャズ戦でのブザービーター
1990年11月13日のユタ・ジャズ戦でのブザービーターです.
シカゴ・ブルズはユタ・ジャズに84-82で勝利しました.
1992年11月11日:デトロイト・ピストンズ戦での3Pブザービーター
1992年11月11日のデトロイト・ピストンズ戦での3Pブザービーターです.
オーバータイムの残り4.1秒でシカゴ・ブルズはデトロイト・ピストンズに95-96で1点差で負けていましたが,マイケル・ジョーダンが3Pシュートのブザービーターを決めて98-96で勝利しました.
以下の動画の5:54です.
1993年5月17日:クリーブランド・キャバリアーズ戦でのブザービーター「The Shot II」
1993年5月17日のNBAプレーオフ2回戦のクリーブランド・キャバリアーズとの第4戦で101-101の同点からブザービーター「The Shot II」を決めて103-101で勝利しました.
マイケル・ジョーダンの「The Shot II」で,シカゴ・ブルズはクリーブランド・キャバリアーズに4戦全勝でスイープしました.
それでは,「The Shot II」をご覧下さい.
1995年3月25日:アトランタ・ホークス戦でのブザービーター
1995年3月25日のアトランタ・ホークス戦でのブザービーターです.
シカゴ・ブルズはアトランタ・ホークスに99-98で勝利しました.
マイケル・ジョーダンが1度目の引退からカムバックして4試合の出来事です.
マイケル・ジョーダンの背番号が#23ではなく,#45なのが印象的ですね.
1997年2月11日:シャーロット・ホーネッツ戦での3Pブザービーター
シャーロット・ホーネッツ戦での3Pブザービーターです.
後半残り9.5秒で100-100の同点でしたが,マイケル・ジョーダンが3Pブザービーターを決めて103-100で勝利しました.
1997年6月1日:ユタ・ジャズ戦でのブザービーター
1997年6月1日のNBAファイナルのユタ・ジャズとの第1戦でのブザービーターです.
マイケル・ジョーダンがブザービーターを決めてシカゴ・ブルズはユタ・ジャズに84-82で勝利しました.
以下の動画の1:16:16で観られます.
1998年2月13日:アトランタ・ホークス戦でのブザービーター
1998年2月13日のアトランタ・ホークス戦でのブザービーターです.
後半残り4.3秒で110-110の同点でしたが,マイケル・ジョーダンがブザービーターを決めてシカゴ・ブルズはアトランタ・ホークスに112-110で勝利しました.
以下の動画の8:42で観られます.
2002年1月31日:クリーブランド・キャバリアーズ戦でのブザービーター「The Shot III」
2002年1月31日のクリーブランド・キャバリアーズ戦でブザービーター「The Shot III」を決めました.
マイケル・ジョーダンのブザービーターで,ワシントン・ウィザーズはクリーブランド・キャバリアーズに93-92で勝利しました.
マイケル・ジョーダンは,クリーブランド・キャバリアーズ戦で3度「The Shot」,「The Shot II」,「The Shot III」のブザービーターを決めました.
完全にクリーブランド・キャバリアーズ・キラーですね.
「The Shot III」は,以下の動画の4:59で観られます.
1984~1993年:マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ第1期時代の活躍
マイケル・ジョーダンは,1984~1993年にシカゴ・ブルズ第1期時代の活躍をしていました.
マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズは,1991~1993年に最初のNBA3連覇(3-peat)を達成しました.
1985年:エア・ジョーダン1を発売
1985年にマイケル・ジョーダンはエア・ジョーダン1を発売しました.
そのCMを観たいあなたはこちらからどうぞ.
1986年4月20日:ボストン・セルティックス戦でプレーオフ史上最多63得点
1986年4月20日のボストン・セルティックス戦でプレーオフ史上最多63得点を記録しました.
試合はダブルオーバータイムの末,131-135で惜しくも敗戦しました.
ボストン・セルティックスのエースのラリー・バードは試合後に以下の名言を残しました.
彼はマイケル・ジョーダンの姿をした神様だ.("It’s just God disguised as Michael Jordan.")
ラリー・バードがマイケル・ジョーダンをバスケの神様と認めた言葉ですね.
1987,1988年のスラムダンクコンテストで優勝
マイケル・ジョーダンが,1987,1988年のスラムダンクコンテストで優勝した時のシーンです.
1987年のスラムダンクコンテスト
1987年のスラムダンクコンテストの動画です.開催場所は,当時のシカゴ・ブルズのスタジアム「シカゴ・スタジアム」です.
1988年のスラムダンクコンテスト
1988年のスラムダンクコンテストで50点を獲得した以下のダンクは必見です.
1980年代後半:デトロイト・ピストンズによるジョーダン・ルールの壁
1980年代後半のマイケル・ジョーダンは,デトロイト・ピストンズによるジョーダン・ルールの壁に阻まれました.
これにより,マイケル・ジョーダンはプレーオフで1988~1990年の3年連続でデトロイト・ピストンズに敗退しました.
1990年2月14日:オーランド・マジック戦で幻の背番号#12
1990年2月14日のオーランド・マジック戦の前にマイケル・ジョーダンの背番号#23のジャージが盗まれました.
しかし,予備のジャージがなかったためマイケル・ジョーダンは背番号#12で試合に出場しました.
背番号にはJORDANの名前がない幻の背番号#12です.
背番号#12のマイケル・ジョーダンは49得点の活躍でしたが,シカゴ・ブルズはオーランド・マジックにオーバータイムの末129-135で惜敗しました.
1990年3月29日:クリーブランド・キャバリアーズ戦でキャリアハイの69得点を達成
1990年3月29日のクリーブランド・キャバリアーズ戦でキャリアハイの69得点を達成しました.
マイケル・ジョーダンの活躍で,シカゴ・ブルズはクリーブランド・キャバリアーズにオーバータイムの末117-113で勝利しました.
1991年:第1期の1度目の優勝
マイケル・ジョーダンは1991年にNBAで初優勝しました.
1991年5月27日:NBAプレーオフのデトロイト・ピストンズとの第4戦に勝利してスイープ
1991年5月27日のNBAプレーオフのカンファレンスでデトロイト・ピストンズとの第4戦に115-94で勝利しました.
シカゴ・ブルズはデトロイト・ピストンズを4勝0敗でスイープしました.
これまで,3年連続でマイケル・ジョーダンに立ちふさがったデトロイト・ピストンズの壁を破りました.
マイケル・ジョーダンはデトロイト・ピストンズとの第4戦で29得点の活躍でした.
1991年6月5日:NBAファイナルのロサンゼルス・レイカーズとの第2戦:ダブルクラッチ「The Move」
1991年6月5日のNBAファイナル第2戦で,マイケル・ジョーダンは右手でダンクしようとしました.
しかし,ロサンゼルス・レイカーズのサム・パーキンスがブロックしようとしていたので,ブロックを躱すために左手に持ち替えてダブルクラッチを決めました.
これが,「The Move」です!
1991年6月12日:NBAファイナルのロサンゼルス・レイカーズとの第5戦
1991年6月12日のNBAファイナルのロサンゼルス・レイカーズとの第5戦は108-101で勝利しました.
マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズはロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で倒し,NBAで優勝しました.
1992年:第1期の2度目のNBA優勝
マイケル・ジョーダンは1992年にNBAで2度目の優勝をしました.
1992年6月14日:NBAファイナルでポートランド・トレイルブレイザーズとの第6戦
1992年6月14日のNBAファイナルでポートランド・トレイルブレイザーズとの第6戦で97-93で勝利しました.
シカゴ・ブルズはポートランド・トレイルブレイザーズに4勝2敗で倒し,マイケル・ジョーダンはNBAで2度目の優勝をしました.
また,シカゴ・ブルズのホーム「シカゴ・スタジアム」での初優勝です.
マイケル・ジョーダンとクライド・ドレクスラーの最強シューティング・ガード対決は必見です!
1993年:第1期の3度目のNBA優勝
マイケル・ジョーダンは1993年にNBAで3度目の優勝をしました.
1993年2月21日:歴代1位の視聴者数のオールスターゲームです.
1993年2月21日の歴代1位の視聴者数のオールスターゲームです.
1993年3月12日:シャーロット・ホーネッツを返り討ち
1993年3月12日に若手のアロンゾ・モーニングやシックスマンのデル・カリー(ステファン・カリーの父親)が活躍していたシャーロット・ホーネッツを返り討ちにした動画です.
マイケル・ジョーダンは52得点,9リバウンド,5アシスト,0ターンオーバーの神の活躍です.
1993年5月31日:NBAプレーオフのニューヨーク・ニックスとの第4戦
1993年5月31日のNBAプレーオフのカンファレンス・ファイナルのニューヨーク・ニックスとの第4戦です.
マイケル・ジョーダンの54得点の活躍で,105-95で勝利しました.
1993年6月16日:NBAファイナルのフェニックス・サンズとの第4戦
1993年6月16日のNBAファイナルのフェニックス・サンズとの第4戦で,マイケル・ジョーダンがNBAファイナルのキャリアハイの55得点を記録した試合です.
試合はシカゴ・ブルズがフェニックス・サンズに111-105で勝利しました.
1993年6月20日:NBAファイナルのフェニックス・サンズとの第6戦(1度目の3連覇達成)
1993年6月20日のNBAファイナルのフェニックス・サンズとの第6戦です.
シカゴ・ブルズはフェニックス・サンズとの激戦を99-98で制して,3連覇を達成しました.
ウイニングショットは,マイケル・ジョーダンではなく後半残り3.6秒で決めたジョン・パクソンです.10:22で見られます.
味方を信じて託したマイケル・ジョーダンの好プレーです.
マイケル・ジョーダンは33得点,8リバウンド,7アシストの活躍で,3年連続でファイナルMVPを受賞しました.
マイケル・ジョーダンのNBAファイナル平均41.0得点は最多得点記録です!
1993~1995年:マイケル・ジョーダンの1度目の引退
1993~1995年にマイケル・ジョーダンは1度目の引退をしました.
1993~1995年:野球選手時代の活躍
1993~1995年のマイケル・ジョーダンの野球選手時代の活躍を知りたいあなたはこちらからどうぞ.
1994年11月1日:マイケル・ジョーダンの背番号#23の引退セレモニー
1994年11月1日にシカゴ・ブルズの本拠地のユナイテッド・センターで,マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ時代の背番号#23の引退セレモニーが開催されました.
1995~1998年:マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ第2期時代の活躍
1995~1998年のマイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズ第2期時代の活躍を紹介していきます.
1995年3月19日:現役復帰
マイケル・ジョーダンは1995年3月19日に現役復帰しました.
マイケル・ジョーダンが現役復帰した時の名言"I'm back"はとても有名ですね.
1995年3月28日:ニューヨーク・ニックス戦で55得点
1995年3月28日のニューヨーク・ニックス戦(現役復帰5戦目)です.
マイケル・ジョーダンは55得点の活躍で,シカゴ・ブルズはニューヨーク・ニックスに113-111で勝利しました.
この時のマイケル・ジョーダンの背番号は#45です.現役復帰から調子を取り戻してきています.
1995年5月7日:NBAプレーオフでオーランド・マジックとの第1戦
1995年5月7日のNBAプレーオフの第1戦は,後半残り18.1秒で91-90と1点差で勝っている場面で,マイケル・ジョーダンがオーランド・マジックのニック・アンダーソンにスティールされて逆転されたことが原因で91-94で負けました(1:33:39).
試合後に,ニック・アンダーソンはマイケル・ジョーダンに以下の言葉を残しました.
- 彼は昔のマイケル・ジョーダンに見えなかった."He didn't look like the old Michael Jordan."
- 背番号#45は背番号23のように爆発しない."No. 45 doesn't explode like No. 23 used to."
1995年5月10日:NBAプレーオフでオーランド・マジックとの第2戦
1995年5月10日のNBAプレーオフの第2戦では,マイケル・ジョーダンは背番号#23を着用しました.
上記のニック・アンダーソンの言葉が背番号を変えた理由だったと思われます.
マイケル・ジョーダンの38得点の活躍で,シカゴ・ブルズはオーランド・マジックに104-94で勝利しました.
しかし,第6戦でオーランド・マジックに2勝4敗で敗退しました.
マイケル・ジョーダンが,まだ本調子ではなかったのが敗因ですね.
1996年:第2期の1度目(通算4度目)のNBA優勝
マイケル・ジョーダンは1995年の敗戦をバネにトレーニングしてバスケ選手の肉体を取り戻しました.
そして,マイケル・ジョーダンは1996年にNBAで第2期の1度目(通算4度目)の優勝をしました.
1996年2月11日:NBAオールスターゲームで大活躍で大ブーイング?
1996年2月11日のNBAオールスターゲームでマイケル・ジョーダンが大活躍をしてMVPを獲得したのですが,大ブーイングされた動画です.
1996年2月18日:インディアナ・ペイサーズ戦
1996年2月18日のインディアナ・ペイサーズ戦で,マイケル・ジョーダン,スコッティ・ピッペン,デニス・ロッドマンのBIG3の活躍で,シカゴ・ブルズは110-102で勝利しました.
1996年5月27日:NBAプレーオフのオーランド・マジックとの第4戦
1996年5月27日のNBAプレーオフのカンファレンス・ファイナルのオーランド・マジックとの第4戦で106-101で勝利し,4勝0敗でスイープしました.
1996年6月16日:NBAファイナルのシアトル・スーパーソニックスとの第6戦
1996年6月16日のNBAファイナルのシアトル・スーパーソニックスとの第6戦に87-75で勝利して,シカゴ・ブルズは4度目のNBA優勝をしました.
この試合で,マイケル・ジョーダンは22得点の活躍でした.
また,マイケル・ジョーダンは,NBAファイナルのMVPを獲得しました.
1997年:第2期の2度目(通算5度目)のNBA優勝
マイケル・ジョーダンは1997年にNBAで第2期の1度目(通算5度目)の優勝をしました.
1997年1月21日:ニューヨーク・ニックスのコーチ「ジェフ・ヴァン・ガンディ」に詐欺師(Con Man)と呼ばれたことのリベンジゲームで51得点で勝利
当時のニューヨーク・ニックスのコーチ「ジェフ・ヴァン・ガンディ」に詐欺師(Con Man)と呼ばれたことで,マイケル・ジョーダンは怒りました.
1997年1月21日にニューヨーク・ニックスと対戦するリベンジゲームで,マイケル・ジョーダンは51得点の活躍で,シカゴ・ブルズはニューヨーク・ニックスに88-87で勝利しました.
神を怒らせた天罰ですね!
1997年2月7日:NBA50周年オールスターゲームで史上初のトリプルダブル達成
1997年2月7日のNBA50周年オールスターゲームで史上初のトリプルダブルを達成しました.
1997年4月27日:ワシントン・ブレッツ(現在ワシントン・ウィザーズ)戦での後期3ピート時代のプレーオフ最多55得点
1997年4月27日のワシントン・ブレッツ(現在ワシントン・ウィザーズ)戦での後期3ピート時代のプレーオフ最多55得点を記録した試合です.
シカゴ・ブルズはワシントン・ブレッツに109-104で勝利しました.
1997年5月13日:NBAプレーオフ2回戦のアトランタ・ホークスとの第5戦
1997年5月13日のNBAプレーオフ2回戦のアトランタ・ホークスとの第5戦です.
マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズはアトランタ・ホークスに107-92で勝利しました.
マイケル・ジョーダンのムトンボ越しダンクは必見です(0:34).
1997年6月11日:NBAファイナルのユタ・ジャズとの第5戦「The Flu Game」
1997年6月11日のNBAファイナルのユタ・ジャズとの第5戦で,マイケル・ジョーダンが謎の体調不良から限界突破した試合「The Flu Game」です.
マイケル・ジョーダンは38得点の活躍で,シカゴ・ブルズはユタ・ジャズに90-88で勝利しました.
対戦成績は3勝2敗でNBA優勝に王手となりました.
1997年6月13日:NBAファイナルのユタ・ジャズとの第6戦
1997年6月13日のNBAファイナルのユタ・ジャズとの第6戦で,マイケル・ジョーダンの39得点の活躍で,シカゴ・ブルズはユタ・ジャズに90-86で勝利しました.
86-86で同点の時,後半残り5秒でマイケル・ジョーダンのアシストでスティーブ・カーがウイニングショット決めて88-86になったことが勝因でした.
マイケル・ジョーダンからスティーブ・カーへのウイニングアシスト(ウイニングパス)ですね.
以下の動画の1:47:08で観られます.
1998年:第2期の3度目(通算6度目)のNBA優勝(2度目の3連覇達成)
マイケル・ジョーダンは1998年にNBAで第2期の1度目(通算6度目)の優勝をしました.
1997年10月18日:シカゴ・ブルズ vs. オリンピアコスBC
1997年10月18日にマクドナルド選手権の決勝で,シカゴ・ブルズ は,オリンピアコスBCと対戦しました.
マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズは,オリンピアコスBCとに104-78で勝利し,マクドナルド選手権を優勝しました.
もちろんマイケル・ジョーダンがMVPです!
1997年11月21日:ロサンゼルス・クリッパーズ戦でシーズンハイの49得点の活躍
1997年11月21日のロサンゼルス・クリッパーズ戦でシーズンハイの49得点の活躍でした.
マイケル・ジョーダンの活躍により,シカゴ・ブルズは,ダブルオーバータイムの末,ロサンゼルス・クリッパーズ111-102で勝利しました.
1998年6月14日:2度目の3連覇を決めるウイニングショット「The Last Shot」
1998年6月14日NBAファイナルのユタ・ジャズとの第6戦の残り5.2秒,マイケル・ジョーダンがウイニングショット「The Last Shot」を決めて87-86で勝利して,NBAチャンピオンになった動画です.
マイケル・ジョーダンによるユタ・ジャズのカール・マローンからのスティールで始まり,The Last Shotで終わる一連の流れは必見です!
マイケル・ジョーダンがユタ・ジャズのブライオン・ラッセルを押した(と思われる)神の左手?のシーンもあります.
後にブライオン・ラッセルは,マイケル・ジョーダン:ラストダンスで「押しても押していなくても,あのシュートを決めていた.」と語っています.
それでは,The Last Shotをご覧下さい.
1999~2001年:マイケル・ジョーダンの2度目の引退
マイケル・ジョーダンは,1999年1月13日に2度目の引退を発表しました.
2000年1月19日にワシントン・ウィザーズのオーナーの1人になり,バスケットボール執行部門の社長になりました.
2001~2003年:マイケル・ジョーダンのワシントン・ウィザーズ時代の活躍
2001~2003年のマイケル・ジョーダンのワシントン・ウィザーズ時代の活躍を紹介していきます.
2001年9月25日:現役復帰
2001年9月25日にマイケル・ジョーダンはワシントン・ウィザーズの選手として現役復帰しました.
今回の現役復帰では以下の名言を残しました.
私は1人の選手として大好きな試合に戻ってきた.("I am returning as a player to the game I love.")
2001年12月16日:トロント・ラプターズ戦でUNCの後輩のビンス・カーターと対決し,21得点の活躍
2001年12月16日のトロント・ラプターズ戦でUNCの後輩のビンス・カーターと対決し,21得点の活躍でした.
マイケル・ジョーダンの活躍により,ワシントン・ウィザーズはトロント・ラプターズに93-88で勝利しました.
UNCの後輩のビンス・カーターを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
2001年12月29日:シャーロット・ホーネッツ戦で51得点の活躍
2001年12月29日のシャーロット・ホーネッツ戦でマイケル・ジョーダンは51得点の活躍でした.
マイケル・ジョーダン率いるワシントン・ウィザーズは107-90でシャーロット・ホーネッツに勝利しました.
38歳で51得点という偉大な記録です!
2002年1月4日:マイケル・ジョーダンのブロック「The Block」
マイケル・ジョーダンの2ハンドブロック「The Block」です.その前にシュートをブロックされたのでやり返しました!
2002年2月15日:フェニックス・サンズ戦でウイニングショット
2002年2月15日にフェニックス・サンズ戦で第4Q残り1秒でウイニングショットを決めて97-96で勝利しました.
ほぼブザービーターですね.
2003年1月24日:マイケル・ジョーダンの現役最後のユナイテッドセンター
2003年1月24日にマイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズの本拠地のユナイテッドセンターで現役選手として試合をした最後の日です.
全員からのスタンディングオベーションです!
2003年2月9日:現役最後のNBAオールスターゲーム
2003年2月9日の現役最後のNBAオールスターゲームです.
マイケル・ジョーダンは,オールスター投票でスターティング5に選ばれずにリサーブでした.
そこで,UNCの後輩のビンス・カーターがスターティング5を譲ってくれたので,マイケル・ジョーダンはスターティング5になれました.
UNCの後輩で人格者のビンス・カーターを知りたいあなたはこちらからどうぞ.
オーバータイムの残り4.8秒で136-136の同点の時,マイケル・ジョーダンは勝ち越しシュートを決めました(2:27:15).
2003年2月21日:ニュージャージー・ネッツ戦で40歳で43得点を記録
2003年2月21日にのニュージャージー・ネッツ(現在ブルックリン・ネッツ)戦で,マイケル・ジョーダンは40歳で43得点を記録しました.
マイケル・ジョーダンは,40歳で40得点以上を記録した初めての選手になりました.
ワシントン・ウィザーズはニュージャージー・ネッツに89-86で勝利しました.
2003年4月11日:マイアミ・ヒートの背番号#23が引退
2003年4月11日にマイアミ・ヒートでマイケル・ジョーダンの背番号#23が引退しました.
マイアミ・ヒートでマイケル・ジョーダンは選手ではありませんが,敬意を払ったのだと思います.
2003年4月16日:フィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で現役最後の試合
マイケル・ジョーダンは,2003年4月16日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で現役最後の試合をしました.
マイケル・ジョーダンは15得点の活躍でしたが,ウィザーズはフィラデルフィア・セブンティシクサーズに87-107で負けました.
ハイライト動画はこちらです.
現役最後のシーンは,12:03で観られます.
全員からのスタンディングオベーションですので,目に焼き付けましょう!
2003年4月17日:マイケル・ジョーダンの3度目の引退
2003年4月17日にマイケル・ジョーダンが3度目の引退をしました.
お疲れ様でした.
まとめ
マイケル・ジョーダンのNBA時代の活躍を紹介しました.
シカゴ・ブルズ時代の2度の3連覇(3-peat),ワシントン・ウィザーズ時代の偉業がわかりました.
マイケル・ジョーダンが史上最高のバスケ選手(GOAT:Greatest Of All Time)なのは明らかです.
マイケル・ジョーダンは偉大すぎて語ると終わらないので,ここまでにしましょう.
最後まで読んで頂きありがとうございました.
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